お笑い芸人として活躍する一方「大家さんと僕」などのマンガ作品でも多くの読者を持つ矢部太郎さん。そんな矢部さんが、自ら出版社を立ち上げて世に送り出した一冊が「光子ノート」です。本書は、矢部さんのお父さんで絵本作家のやべみつのりさんが、まだ絵本作家としての仕事がなかった頃、愛娘・光子さんの日常を日記のように描き続けた記録をもとにしています。
描かれているのは、特別な出来事ではなく、子どもと過ごした何気ない日常の積み重なりです。992ページという分厚いノートを読み進める中で、子どもの成長とともに、親が過ごしてきた時間の積み重なりそのものを追体験するような感覚があります。今回は、矢部さんが「光子ノート」と向き合ったときに感じたことや、子ども時代に過ごした時間がいまの自分にどうつながっているのかについてお話を伺いました。

お笑い芸人・マンガ家・編集者 矢部太郎さん プロフィール
1977(昭和52)年、東京生れ。芸人・漫画家。1997(平成9)年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。2018(平成30)年、初めて描いた漫画『大家さんと僕』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。他の著書に『大家さんと僕 これから』『「大家さんと僕」と僕』(共著)『ぼくのお父さん』『楽屋のトナくん』『マンガ ぼけ日和』『プレゼントでできている』などがある。
父のノートに向き合い「作品」と「記録」の違いを知る
矢部さんが、後に「光子ノート」として書籍化されることになる父のノートに、しっかり目を通したのは、父を題材にした作品を考えていたときでした。
「父がメモをよく取る人だというのは知っていたんですが、全部で38冊もあるノートを実際に目の当たりにして、あらためて驚きました。量もすごいんですけど、それ以上に、父がそのときに思っていたことや感じていたことが、そのまま詰まっていると感じました」
そのノートをもとに描かれたのが「ぼくのお父さん」(新潮社)です。
「『子どもの頃のことをもう一回考えてみたい』という気持ちがあって。僕にとって『作品をつくるって、そういう時間でもある』と思うんです」
しかし、作品としてまとめたあとも、ある感覚が残りました。
「やっぱり父のノートは、嘘がないというか。失敗したこともそのまま入っているし、自分をさらけ出している。自分が作品として描くと、どうしても読者を意識してしまうので、そのままではなくなってしまう」

美容院ごっこをしていて、かみそりで手を切った光子ちゃん。親としてはあわてて治療をしたいところですが、その様子がしっかりと描かれています。「バイキンみてたら ちがでたよ」という光子ちゃんのコメントがリアル。大人になったら忘れてしまいそうな「その時期だからこそ出る言葉」が書きとめられているのも魅力
編集し、構成し、マンガとしての落としどころや伝わる形に整えることで生まれる「作品」と、そのまま残されている「記録」。その違いを実感したことが、矢部さんに「光子ノートそのものを世に出す」発想につながったきっかけになりました。
怒りから判断へ、自分で本を出すまで
転機のひとつとなったのが、東京・立川のPLAY! MUSEUMで行われた「ふたり 矢部太郎展」でした。ここでは「ぼくのお父さん」や「大家さんと僕」「プレゼントでできている」などの作品世界が楽しめる展示とともに、父・やべみつのりさんのノートも展示されました。

「矢部太郎の〈たろう社〉と八紘美術がおくるイベント」で展示されていた「光子ノート」の原本
「展示で光子ノートを見ていただいたときに『すごくいい!』と言ってくださる方がいて。『光子ノート』を世に出せたらいいなという気持ちは、そこで少し強くなりました」
ただ、その時点ではまだ「できたらいい」という段階にとどまっていました。流れを決定づけたのは、出版社からの一言でした。
「出版社の方に相談したら『うちでは難しいですね』と断られて。そのときは、正直ちょっと腹が立ったというか」
その感情は、すぐに冷静な判断へと変わっていきます。
「自分にとって特別なものではあるんですけど、それとは別に、編集者として見たときに価値があると思ったんです」
既存の枠では実現できない。そう判断した矢部さんは、自ら出版社を立ち上げることを選びました。編集や制作、流通の手配までを自分で進めながら、周囲の人に教わり、家族にも協力してもらい、一つひとつ手探りで形にしていきます。その作業の中で、子ども時代の記憶が思いがけないかたちで立ち上がってきたといいます。
「『光子ノート』に挟むしおりを自分で印刷してカッターで切っているときに、父がこうやってたなって思い出すんですよね」
定規の置き方や、線の引き方。細かな手の動きまで、自然と体が覚えていました。
「工作の原点みたいなものが残っているんだなと思いました」
父が描いたノートを本として形にしていく過程で、かつて一緒に過ごした時間が、手の動きとしてふと現れてくる。思い出そうとしなくても、体のほうが先に反応しているような感覚だったといいます。

税抜き3500円という値段は矢部さんが「なんとなく、この値段ならいいかなって」と決めた金額で、通常の出版方法では当然赤字になってしまう。そこで出版にかかる経費を極限まで削るため、本の在庫は事務所に置かれています。それでも取材時の2月中旬で半分ほどはなくなったのだとか。
何気ない体験が、あとからつながる
「光子ノート」に描かれているのは、矢部さんが生まれる前後、姉である光子さんとお父さんが過ごした日常です。どこか特別にも見えるその時間も、当時はごく自然なものとして続いていたのでしょう。その延長線上に、のちに矢部さん自身が過ごすことになる時間もありました。
「別に自分の体験が特別だったという感覚はなくて。誰にでも、そういう大切な時間があるんじゃないかなと思うんです」
「ぼくのお父さん」でも描かれていた、つくしを採ったり、粘土をこねて、いろんなもので模様をつけながら土器を作ってみたりといった体験について、矢部さんはこう振り返ります。
「子どもの頃はピンときていなかったことも、大人になってからふとつながることがあります」

「ぼくのお父さん」でも、太郎少年とお父さんがつくしを採りにいくシーンがありますが「光子ノート」にも描かれています。何気ない日常が絵本のワンシーンのように切り取られています
当時は特別だとは思っていなかった時間が、後になって別の意味を帯びてくる。そんな感覚がにじむ言葉でした。子どもの頃に父と過ごした時間や、そこで身についた感覚は、かたちを変えながら現在にもつながっていきます。その実感を、矢部さんはこう表現します。
「時間は経っているけど、位置としては同じところにいるというか」
見えないものを、そのまま残すということ
さらに「光子ノート」の中でも印象的なのが、光子さんにしか見えない“お友だち”の存在です。
「『くかき』という名前の子で、本人以外には見えないんですけど、父はそれを否定せずに、そのままノートに『くかき』を描いているんですよね」

子どもが心の中に持つ、目には見えない存在。いわゆるインナーチャイルドやイマジナリーフレンドと呼ばれるものですが、このノートでは、それが自然なかたちで描かれています。
「写真には写らないものだけど、そこにいたことにしてあげている」
矢部さんは、後にお姉さんが「この本で、また『くかき』に会えた気がしてうれしかった」と語った言葉が印象に残ってるそうです。
見えないものも、なかったことにせず、そのまま残しておく。そうした姿勢が、このノートには貫かれています。たとえば、光子ちゃんが蝶の真似をして遊んでいる場面では、連続して描かれている光子ちゃんの手がだんだん羽のように変わっていく様子が描かれています。子どもの中で起きている変化や想像の広がりが、そのまま絵の中に現れているのです。

光子ちゃんが蝶になるシーンは「矢部太郎の〈たろう社〉と八紘美術がおくるイベント」でも原本を見ることができました。蝶の真似をしている光子ちゃんの手が羽に変わり、ふわふわと飛んでいく様子が描かれています。
そうした一つひとつの描写は、子どもが感じていたことを否定せず、そのまま受け止めていた証でもあります。それは、「自分の感じていたことが否定されなかった」という記憶として残り、安心や肯定にもつながっていくのかもしれません。

ユネスコ村に行ったときの様子が描かれているページでは、ヘリコプターを見た光子ちゃんが「バス とばないかなあ」と思い、その夢をお父さんが絵の世界で実現してくれています。
過去の記録が、今の関係の見え方を変える
光子ノートに描かれているのは、幼い光子ちゃんとお父さんとの時間です。しかし、その関係もまた、時間の中で少しずつ変化していきます。
「年を取ってきて、親子の関係が少し逆転してきているところもあって」
今は、かつてとは立場が入れ替わるように、娘が父を支える場面も増えてきているといいます。
「父が一人で遠くに行けなくなってきたりしていて。『光子ノート』で描かれていた時期のことを思い出すと、また違う感じ方になるのかもしれないなと思います」
老いによってできることが少しずつ変わっていく一方で、かつて確かに注がれていた時間や愛情に気づくこと。その往復が、今の親子の関係を、どこかやわらかくとらえ直すきっかけになっているようにも感じられます。今現在、子どもと向き合っている時間も、いつか同じように、あとから思い出されるものになるのかもしれません。

このページでは、灰色の背景の中に、猫と一緒に寝る光子ちゃん周囲が丸く切り抜かれています。これはおそらく「雑誌などを丸めて望遠鏡のようにして、寝ている光子ちゃんを起こさないように観察したもの」ではないでしょうか。静かな夜の雰囲気と、父親の愛情が感じ取れる絵です。
さらに、矢部さんは「父が、『描くことで(自分の人生を)生き直していった』と言っていたのが印象に残っている」と語っています。確かに「光子ノート」を読み進めていくと、最初は光子ちゃんの姿や身の回りの空間が中心だったものが、やがてプールや動物園、お祭りなど外の世界へと広がっていきます。

「矢部太郎の〈たろう社〉と八紘美術がおくるイベント」で展示されていた原本
ノートいっぱいに描かれたそれらの場面は、記録であると同時に、一つの作品としても見応えのある細やかさを持っています。

目の前の光子ちゃんを描き続けることを通して、お父さん自身の見ている世界も少しずつ広がっていった。その積み重ねが、やがて絵本作家としての道にもつながっていったのではないか? そんなふうにも感じられます。そしてその感覚は、矢部さん自身にも重なっているといいます。
「自分自身もいずれ親の介護をすることが現実的になってきているから、今『光子ノート』を形として残せたことは、姉と同じように、僕の人生の中でも、今の親との関係をまた違う視点で見られるような位置づけになったと思います。そういう意味で、父のノートに向き合う中で、ここから人生が始まった、道が見えた、というような感覚があったかもしれないです」

「光子ノート」は倉敷で行われた「やべみつのりと矢部太郎」という親子展に合わせて出版されました。そこに本の出版を間に合わせるため、光子さんにもお手伝いをしていただいたそうです。
過去をたどることは、単に思い出を振り返ることではなく、関係をあらためて見つめ直すことにもつながっていきます。「光子ノート」は、どこか特別な家庭の記録ではなく、誰の中にもあるかもしれない時間の積み重ねを映し出す一冊です。目の前にある日常も、いつか振り返ったとき、静かに意味を持ち始めるのかもしれません。
取材を終えて
子どもと過ごしていると、ふと「自分もこうしてもらっていたな」と思い出す瞬間があります。「光子ノート」は、自分の家族の記録ではないのに、ページをめくるうちに、そうした記憶が自然とよみがえってくる不思議な一冊でした。描かれているのは、特別な出来事ではなく、何気ない日常です。けれど、その一つひとつに、子どもを見つめるまなざしが丁寧に刻まれています。その積み重ねが、読む側の中にある記憶を静かに呼び起こしていく感覚がありました。また、自ら出版社を立ち上げ、この分厚い本を世に届けた矢部太郎さんの姿も印象的でした。それは単なる出版というより、父が残した時間を、別のかたちで受け取り直していく過程のようにも見えました。ページの中では、光子ちゃんの空想がそのまま絵として広がっていきます。見えないものや、言葉にならない感覚までが、そのまま残されている。それもまた、この本ならではの魅力です。何気なく過ごしている日々の中にも、あとから振り返ったときに思い出される場面がきっとある。「光子ノート」は、そんな時間の存在を静かに思い出させてくれる一冊でした(KAZ)
「光子ノート」を購入する(たろう社HP)
この記事を読んでいる人は「好奇心」「スキシャリスト」に関するこんな記事も読んでいます
・「かわいい」という視点で出会う、新しいいきもの図鑑
・「好き」が未来をつくる!「スキシャリスト」という生き方
・岸壁幼魚採集家・鈴木香里武さんが語る「好きなことに夢中になっている子どもに本当にかけるべき言葉」とは?
・自ら学び続ける子どもになる! 社会を生き抜く「非認知能力」の育て方
・【未来へいこーよ】が育むココロのスキル(非認知能力)について







