家庭の防災というと、水や食料の備蓄を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか? けれど食べて飲めば、やがてトイレに行きたくなります。この見落とされがちな備えに、うんちの話から向き合ってきたのが王子ネピアとNPO法人日本トイレ研究所です。2007年から続く排便の授業「うんち教室」の一環として、今夏は災害時のトイレを子ども向けに伝える動画を公開しました。親子で始められる備えを、王子ネピアの高瀬智子さんと日本トイレ研究所代表理事の加藤篤さんに伺いました。教室で「うんち王子」を演じる、同研究所の島村允也さんにも話を聞いています。

高瀬智子(たかせ ともこ)さん 王子ネピア株式会社 マーケティング本部 商品企画部
ティシュやトイレットロールなどの商品企画を担当し、商品を世に出して届けるまでの仕組み作りに携わる。2007年の立ち上げから「うんち教室」を担当(異動で離れた時期もある)。

加藤篤(かとう あつし)さん NPO法人日本トイレ研究所 代表理事
1972年生まれ。まちづくりのシンクタンクを経て現職。災害時のトイレ・衛生調査、小学校のトイレ空間の改善、教員向けの研修会、出前授業などに取り組む。これまでに東京都防災会議専門委員、国土交通省「循環のみち下水道賞」選定委員なども務めた。著書に「トイレからはじめる防災ハンドブック」(学芸出版社)など。

島村允也(しまむら まさや)さん NPO法人日本トイレ研究所
「うんち王子」として幼稚園や小学校を訪ね、子どもたちにうんちやトイレの大切さを伝える出張授業を行っている。
学校でうんちを我慢する子どもたち。2007年から続く「うんち教室」の原点
「うんち教室」の立ち上げから担当してきたのが、王子ネピア商品企画部の高瀬智子さんです。2007年にイベントで偶然知り合ったのが、現在は日本トイレ研究所代表理事を務める加藤篤さんでした。その加藤さんから、子どもたちが学校でうんちを我慢していると聞いたのがきっかけです。
「私が小学生のころも、男の子が個室に入ると『うんちしてる』とからかわれる話がありました。2007年になってもまだ変わっていないんだと気づいたんです」
学校では排泄についてきちんと教わらず、家庭でも大人自身がよくわからないので伝えられない。それなら、排泄に関わる商品を作るメーカーとして学ぶ場を作ろうと考えたといいます。
「トイレットロールや介護用のおむつを販売してはいますが、商品を売りたい、PRしたいという目的で始めたわけではまったくないんです。商品を届けるだけでなく、子どもたちが自分の体や健康のことに自分で関心を持つきっかけになればと思って始めました」
授業の中心は、日本トイレ研究所のスタッフが「うんち王子」として学校や幼稚園を訪ねる出張授業です。年に1回は教員向けの研修会も開いており、研修を受けた先生が自分の学校で教えた分も合わせると、参加した子どもは約2万人。低学年向けでは、うんちの種類や元気なうんちを出すための生活、お尻の拭き方、手の洗い方までを学びます。

低学年向けの教材「うんち日記」より
数年前には、先生たちの声を受けて中高学年向けも作りました。うんちの80%は何でできているかをクイズで考えながら、腸内細菌や大腸の働き、バリアフリートイレやSDGsまでを学ぶ内容です。

中高学年向けの教材「うんち教室」より
なぜ被災地でうんちの授業? 気仙沼から能登へ続く思い
今回の動画で災害時のトイレを取り上げた背景には、被災地での授業の積み重ねがあります。始まりは東日本大震災の年でした。2011年の秋ごろ、うんち教室は被害の大きかった宮城県気仙沼市の小学校を訪ね、授業を行っています。
震災のあとの子どもたちに何を伝えるか。学校側や日本トイレ研究所と相談して決めたのは、毎日の暮らしの当たり前をあらためてきちんと伝えることでした。
「こういうときだからこそ、逆に日常をきちんと教えたい、知ってほしいと考えました。うんちをすることは非日常でも何でもなく、毎日の当たり前のことですから」
能登半島地震のあとには石川県七尾市、昨年は輪島市の小学校でも授業をしました。災害が起きると注目されやすいのは食べ物や水ですが、食べて飲めば排泄は必ずついてきます。その大切さが少しずつ知られてきたこともあり、今年の自由研究向け動画は防災をテーマに選んだそうです。
「災害が起きても、当たり前の日常を少しでも過ごせるように。普段からトイレの備えをどうするかを知っておいてほしいという思いで作りました」
動画は全3編。それぞれの内容はうんちから防災を考える!ネピア「うんち教室」が夏の自由研究向け動画を公開でも紹介しています。
3時間で2人に1人がトイレへ。地震のあと、水洗トイレはどうなる?
NPO法人日本トイレ研究所 代表理事という肩書きを持ちながら、動画でパペットの「うんち王子」と軽妙な掛け合いをしている加藤さんに、災害のときトイレで何が起きるのかを聞きました。
「水洗トイレは、日常生活に欠かすことができません。ご飯は朝昼晩の1日3回ですが、トイレはその倍以上行きます。いつでも使えるのが当たり前すぎて、失われたときのことをイメージできていないんです」
水洗トイレを使うには電気も給水も排水も要り、流したあとの処理も欠かせません。どこか一つが壊れれば使えなくなります。
「トイレが使えなくなっても、排泄は止められません。しかも水や食料より早く必要になります。能登半島地震の調査では、3時間以内にトイレに行きたくなった人が54.7%と、2人に1人以上でした」
使えないトイレに人が駆け込み、便器が大小便であふれてしまう。過去の災害で繰り返し起きてきたこの状態は「トイレパニック」と呼ばれ、加藤さんは現場を見るたびに伝えなければと感じてきたそうです。

「地震がきたら、トイレはどうなる?」編より
高瀬さんによれば、夏場ならトイレから感染症が広がるおそれもあります。我慢しようと水分を控えれば、エコノミークラス症候群など体調を崩すことにもつながります。水洗トイレの仕組みや、トイレを我慢したときの体への影響をクイズで学べるのが、1本目の動画です。
「今日何食べる?」は話すのに、うんちの話はしない。それが備えを遅らせる
国の防災基本計画では1週間分の携帯トイレの備蓄が勧められていますが、備えている家庭はまだ多くありません。何がハードルなのかを聞くと、加藤さんの答えは明快でした。
「当たり前すぎて、失われることを想像しづらいんです。水や食料は『今日何食べる?』と日常会話に出てくるので、大事だと意識できます。でも排泄の話はしません。話題にしないから気づかない。気づかないから備えられないんです」
高瀬さんも、家庭でうんちの話をしなくなる時期があると指摘します。おむつのうちは子どもが便秘かどうかも大人にわかりますが、一人でトイレに行けるようになると見えなくなります。そこで役立つのが、毎日のうんちの色や形、回数を記録する「うんち日記」です。
「習慣がつけば、中学生や高校生になって大人に言わなくても、今日はこんなうんちだったから体調がよくないな、と自分で気づける。そういう力が養われると思うんです」

「うんち日記」はうんち教室の公式サイトからダウンロードできます
「うんち好きな人?」に挙がる手が、授業のあとに増える理由
学校や幼稚園で子どもたちの前に立つ「うんち王子」は、日本トイレ研究所の島村允也さんが演じています。何より大切にしているのは、楽しく学んでもらうことです。
「トイレや排泄は、人と話す機会も学校で学ぶ機会もありません。恥ずかしいもの、汚いものというイメージが先に立ってしまうので、まずはそれを取り払いたいんです」
子どもたちは「うんち」という言葉が大好き。最初はあえて積極的に口にして教室を盛り上げますが、それだけでは終わらせません。
「うんちは何種類あると思う? いいうんちってどんなうんちだと思う? と常に問いかけます。すると自分のうんちはどうだったかなと考えてくれる。おもしろいだけだった言葉が、自分の体と結びついていくんです」
授業の最初に「うんち好きな人?」と聞くと、手が挙がるのは半分ほど。終わりに「うんち好きになった人?」と聞くと、その数が増えるといいます。
授業のあとに、大切だと思ったことをステッカーに書いてもらうと、何を聞いても言い返してくるやんちゃな男の子が、授業で伝えたことをきちんと書いてくれたこともありました。
「ちゃんと向き合えば、子どもは自分のものにしてくれるんだと感じました」
携帯トイレ、座ったことはありますか? 今日からできる2つの備え
家庭で今日から始められることを「1つだけやるなら?」と尋ねると、加藤さんは「う~ん、2つあるんですけどいいですか?」と前置きして、説明してくれました。1つ目は、家族でうんちの話をすることです。
「理屈で頭に入れるのではなく、会話の中で『そうだよね』と言い合うことが大事です。大人が美味しそうに食べているから、子どもも食べてみようと思う。それと同じで、大人が楽しそうに排泄の話をすれば、子どもはすぐに乗ってくれると思います」
朝「どんなうんちだった?」と聞き合う会話は、地震でトイレが使えなくなったらどうするかという話にもつながっていきます。
2つ目が携帯トイレの備えです。今は100円ショップでも手に入り、家庭に配る自治体もあるほど身近になりました。高瀬さんが勧めるのは「3人家族なら何個いる?」と家族で話すこと。必要な数は、3本目の動画で計算できます。
備えたら、一度試しておくのがおすすめです。加藤さんは「水洗トイレを使い始めたお子さんがいるご家庭はぜひ」と言っています。
「携帯トイレを1回でも触った、座ったという経験があると、いざというときの心のハードルが低くなります。使わなくても、便器に取り付けて座るだけでいい。やったことのないことは、トイレに行きたい状態であわててやろうとしてもできないんです」
2本目の動画では、袋のセットから使ったあとの処理までを実演しています。加藤さんによると、随所に「ぎゅ ぎゅ ぎゅ」のような耳に残る音を入れたのは、動作と結びついて記憶に残るようにという監督の工夫だそうです。
試すときに大切にしたいのは、その人にとっての安心です。停電で暗いトイレが怖い子には、明かりを用意してあげる。加藤さんは、安心の形は大人も子どももそれぞれ違うと言います。島村さんも、災害時にトイレを使うにあたり、携帯トイレのほかに何が必要かを家族で話し合ってほしいと話していました。
いつものトイレが使えなくても「へっちゃら」と言える家族になるには?
3本の動画は、ヘルメットをかぶったパペットの「うんち王子」と加藤さんの掛け合いで進みます。1本目でトイレが使えなくなる理由をクイズで知り、2本目で携帯トイレの使い方を見て、3本目でわが家に必要な数を計算する。1本ずつは短く、3本を続けて見ると、災害時のトイレの困りごとから備えまでがひと続きでわかる構成です。
監督は三品万麻紗さんと尾関彩羽さん。宮城県出身の三品さんは、東日本大震災を経験しています。高瀬さんによると、監督が大切にしたのは、子どもに怖いイメージを持たせないことでした。明るいタッチの映像にし、子ども向けの番組に出てくるようなかわいらしいキャラクターを登場させたのもそのためです。
「ご飯を食べて、水を飲んで、うんちをする。それは地震が起きても変わらない、当たり前のことなんです。携帯トイレを準備して、1回使ってみる。そうやってハードルを下げていけば、いつものトイレが使えなくなってもへっちゃらだよね、と思えるかもしれません」
そう話す高瀬さん自身、使ったあとのごみの出し方が気になって、家で試すところまでは踏み切れていないそうです。大人より子どものほうがハードルは低いはず。だからこそ子どもを中心に、大人も一緒に学んでほしいと話していました。
島村さんが挙げたのは「フェーズフリー」という言葉です。普段と災害時を分けず、日常の中で備えておこうという考え方です。
「毎日、災害の話までする必要はないと思うんです。防災について考える機会を日常的に持てば、生活の一部になっていくのではないでしょうか」
うんちは、子どもが思わず笑って身を乗り出すテーマです。その笑いを入口に自分の体を知り、家族で備えを確かめる。うんち教室が2007年から続けてきた学びは、災害のときにも当たり前の毎日を守る力につながっています。
取材を終えて
じつは王子ネピアさんの取り組みに興味を持ったのは、NHK大阪放送局 BKプラザの防災コーナーで災害時のトイレ問題の展示を見たのがきっかけでした。阪神・淡路大震災のときに使われたトイレの写真は、不特定多数の人が流せなくて捨てられない状況の中使い続けたものなので、これはトイレに行くのが嫌いになってしまう人もいたのでは…と感じるほどでした。3人のお話の中で、やはり家族の中で話題にしていくことと、災害時と通常時と変わらない日常が過ごせる備えの大切さです。うちの息子は毎日自分の出したうんちをいろんなものに例えてくれるので(笑)、次は携帯トイレを1週間分そろえて、使ってみたり座ることをしてみようと思いました(KAZ)
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