岸壁採集や幼魚に関する本の出版をはじめ、テレビやイベントなどで活躍している「岸壁幼魚採集家」の鈴木香里武さん。「好き」を突き詰めていくことで人生を切り開いた鈴木香里武さんに「生きる力」について全2回にわたってインタビューします。第1回は幼少期にどんな子どもだったのかや、苦手なものにどう挑戦してか、「好き」なことをやり抜くための秘訣などを伺いました。
「足元の海」に魅せられたきっかけ
未来:漁港の岸壁で、幼魚を観察するようになったきっかけは?
じつは岸壁採集は、僕が0歳のときからやっています。漁港の岸壁からタモ網を持って魚をすくう、岸壁採集のはしりみたいなことを両親がやっていて、それに連れて行ってもらっていたんです。両親が網で魚をすくう間、赤ちゃんの僕はジャマなので、「まだ寝返りもしないから海には落ちないだろう」ということで、漁港の隅っこに敷かれたビニールシートに僕を転がしておいて両親がどっかに行っちゃうという、そんな環境で育ったんですね(笑)。
だから一番初めに手にした遊び道具も「タモ網」なんです。物心つく前から片手にタモ網、片手に哺乳瓶。そんな感じで育ちました。
未来:香里武さんご自身が「岸壁採集がおもしろい」と思い始めたのは?
最初に思ったのは「身近にこんなに魚がいるんだ」ということです。これは幼少期から思っていて、僕は漁港で自分の足元から半径5m以内のところでしか活動していないんですね。「足元の海」と呼んでいるんですけど、自分の足元だけでこんなにいろんな魚に出会えるんだということに驚き、それが最初にのめりこんだきっかけだったと思います。
それから、ずっと活動を続けていくうちに、足元ですくった魚のうちの一匹が世界初の貴重な記録だったことや、出会った魚を家の水槽で育てて、幼魚から成魚に見た目が大きく変わることに驚きました。また「よく知っている魚なのに、小さいときの姿は誰も見たことがなかった」という発見もありました。そこから「足元の海」で出会える幼魚の魚類学的な価値にも注目するようになりました。
未来:魚類学的価値に気づいたのは何歳ごろでしたか?
高校生くらいのときに「ようやく」という感じじゃないかと。それまでは、ただ好きで好きでやっていたんですね。つかまえた魚も家では飼っていたけど、とくに写真や映像記録に収めていなくて、ただの趣味でした。それが「これはちょっと貴重だぞ」ということに気がついて、カメラを買って写真を撮るようになって、そこから岸壁幼魚採集家という肩書きを名乗るようになりました。
マイペースだけど「好きなことは時間を忘れてやる」子ども時代
未来:ご自身を振り返ってみて、幼少期はどんな子どもでしたか?
今は魚の魅力を伝えるために、いろんなことに興味を持ったりアプローチをしたりしているのですが、子どもの頃は超マイペースで、協調性もあまりないほうでした。ただ好きな事に関しては、徹底的に時間を忘れてやっていました。
未来:岸壁採集は採ることや観察すること、漁港に出かけるなどが楽しいポイントかと思いますが、どこが好きでしたか?
言ってしまうと「全部」なんです。おでかけを計画してから帰ってくるまでの一連の行動全部が好きです。よく「(そんなに好きなら)海辺に住めばいいじゃん」と言われるんですけど、家から漁港まで行くのがよかったりするんですよ。
父の仕事が忙しかったので、数少ない休みになると、もう「海に行ける!」っていうワクワク感があって、魚にも触れあえるだけでなく、その地方の美味しいものを食べたり、地元の人と交流するのも楽しみなんです。一番好きなのは魚ですが、海に行くことで副産物のように一緒に体験できることがたくさんあって、それが全部好きでした。
未来:魚を採るだけでなく、当日の行程すべてが楽しかったんですね。遊びに行くとき、お父さんやお母さんとどんなことを話していましたか?
「今日何採りたい?」ですね(笑)。これは今でも変わらないんです。「今週末は、あの魚を狙おう」みたいな。二十数年間、何も変わってないなあ。
未来:仲がいいんですね。
うちは親子であると同時に海に行くときは3人が「チーム」のような感じになります。1人でも魚は探せるけれども、この3人が最強チーム。僕が魚を見つけて、両親がそれを生かして、飼えるようにしてチームを回していく。いまだにこの「チーム」感というのは変わっていないですね。
未来:家族ではあるけれど、岸壁採集では共通の目的に向かっていく仲間なんですね。
周りでは、ある時期になると親子関係が悪くなったり、ケンカする話を聞きますけど、我が家はないんです。うちにいるときは、それぞれ別のことをやっていますし、同じ家にいてもそれぞれの活動を日々していて、普段はバラバラなんですが、必要なときにガッとまとまる。それは幼少期から変わっていないですね。
未来:お話を聞いていると親子の距離感が絶妙で素敵ですね。岸壁採集の魚を採ったあと、どういう方法で興味を広げていきましたか?
僕の魚に関する知識は、その魚と出会ったときに付随するいろいろなエピソードがほとんどなので、それこそ漁港ですくった魚たちが興味を広げた入口なんですよね。
採った魚がわからなければ図鑑で調べる。当時は、ネットもなかったし、頼りになるのは一部の図鑑しかなかったので、数万円もする分厚い専門書を親にねだって買ってもらって、それをずっと見て調べていました。
未来:今からすると、かなりアナログですね。
だからホントに今の小学生は、もう羨ましくてしょうがないです。YouTubeで深海魚の生きている映像が見られるんですからね! こんなこと考えられなかったですよ、昔は…(笑)。子どもの頃は、魚のことがちょっとでもテレビに映ったら録画で何度も見ていたんです。でも、情報が限られていたぶん、体験が濃厚だったと思いますね。海に行って魚に出会って、そこで食べたもの、話したことの記憶が全部をセットになって頭に入っているので、単なる知識や情報ではなく、全部「魚との思い出」なんですよね。
未来:それはかなり深い体験になりそう。だから忘れないんですね。岸壁採集に行っていないときは、どんなことで遊んでいましたか?
工作です。ずーっと何かを作っていました。ハサミと厚紙、セロテープを与えておけば、一日中遊んでいられましたよ(笑)。
未来:どんなもの作っていたんですか?
電池を上から入れると、大きさによって仕分けできる「電池自動仕分け機」のような「しょうもないもの」を作っていました。ものづくりがとにかく好きなんですよ。今も好きで「自分が将来作りたい水族館の建築模型」も作りました。中身も、しっかり作ってあって、間取りが見えるように全部分解できるようにしてあるんです。

鈴木香里武さんが作った自分が将来作りたい水族館の模型。
未来:工作好きが今も役立っているんですね。想像でものを作るのが好きだったんですか? それとも車や飛行機など、もともとあるものを再現するのが好きだったんですか?
想像したものですね。展開図とかを作らずにいきなり作り始めちゃうんですよ。LEGOも好きで、買ってきても説明書は見ないで作るので、箱に描かれているものとは全然違う何かができますよね(笑)。あと男の子はよく通る道なのですが「電車」も好きで、いろんなところに見に行ったり乗りに行ったりしていました。プラレールを買ってきて、もう足の踏み場もなく、ドアが閉まらなくなるくらい家全体にプラレールを張り巡らせていました。
未来:ご両親にはそれで怒られなかったんですか?
そうですね。「片づけろ」とは言われないので、そのまましばらく放置ですね(笑)。
未来:おおらか! 作った工作はどうされていましたか?
大部分はさすがにもうないですけど、両親とはできたもので一緒に遊んだりしてましたね。タイタニック号を想像で作ってみたり、豆電球が好きだったので、いろんなものを作った中に豆電球を据えて完成形としていました(笑)。
僕の幼少期は、今みたいな便利なものがまだそんなになかったので、僕の扱っていたなかでハイテクなものが豆電球ですから、今だったらもっといろんなことができると思います。
未来:頭の中で空想したものを作っていくことで、想像力がすごく育まれたのでしょうね。ご両親に、子どもの頃に言われていたことで覚えていることはありますか?
逆の答えになりますが、我が家ではあまり「これをしなさい」や「これをしちゃ駄目」と言われた記憶がないんですよ。ある意味、自由にやりたいようにさせてもらってきました。「勉強しなさい」も、一切言われたことないです。
未来:幼少期の香里武さんがマイペースでいられたのは、おおらかなご両親の存在も大きいかもしれませんね。