長く伸ばした髪の毛を、病気などで髪が抜けてしまった人のためにウィッグとして提供する活動であるヘアドネーション。日本で初めてヘアドネーションをスタートしたJapan Hair Donation & Charity(JHD&C・通称ジャーダック)は、「必ずしもウィッグを必要としない社会」がくると信じて活動をつづけています。活動の途中で、「渡したウィッグが解決策になっていない事実に気づいた(前篇 必ずしもウィッグを必要としない社会を目指すヘアドネーションとは)」という団体代表の渡辺貴一さんに、私たちはその課題についてどう考えるべきかを取材した後編です。
ウィッグを渡したらハッピー、ではない様々な葛藤
未来:ウィッグを渡すことだけでは解決されない問題というのはどのようなことでしょうか?
ヘアドネーションでウィッグをもらった子どもはみんな喜んでいると単純に思っていらっしゃる人が多いと思うんですけど、もちろん喜んでくれているのは事実なんですが、そこに至るまでの葛藤や逡巡はあまり知られていないんじゃないでしょうか。そもそも当事者は声をあげられませんし(ある種のカミングアウトになってしまうので)、ジャーダックもこれまではあまり触れてこなかった事実です。でも、ウィッグを手にした方の中には、いろいろな思いで葛藤している多くの人がいることをこれからはお伝えしていきたいと思っています。
実は、最初からウィッグを使おうと思う人は、全体で見たら少ないです。脱毛になる方にはいろいろな事情があって、例えば脱毛に悩んで自ら命を絶たれる方もいらっしゃいます。悩んで鬱になる方や家から一歩も出られなくなってしまう方もいらっしゃる。その中で「ウィッグを使ってみようかな」というところにまで至るという人は、少数のかなり前向きな方です。
本当に悩んで、娘と一緒に死のうかみたいな人もいるわけです。お母さんには何も責任はないのに、自分がそんな風に産んでしまったという想いから、子どもを守るためには、ウィッグを用意することも含め何でもできることはしてあげたい、そう思うのはごく自然なことだと思います。
子どもに、「ウィッグだったらいろいろな色や長さがあるから、10個あったら10通り楽しめるじゃない」と言ったお母さんもいました。お母さんは前向きに言ったつもりだと思うんですが、ご本人は黙ってうつむいていたので、「ママはいいよね、髪の毛あるからね。あなたの立場にたったらそんなこと言われてもね」と僕が言ったら、その子はその場で泣き出しました。親子の間でも、なかなか意思の疎通って難しいんだなあ、と思いましたね。娘さんの本当の気持ちがお母さんにわからなくて、僕が代弁したことによって、お母さんがハッとしていましたから。「そんなにショックだったの、ごめんね。ママはもう少し軽く考えてしまって。私は髪があるからあなたのことをそこまでちゃんと思ってあげられなかったね、ごめんね。ウィッグじゃ片付かない問題だよね。今からでもいいから治療を受けてみるとかしようか」と言ってあげたら、そこからようやく意思疎通が始まるのかも知れません。
毛髪の再生治療をしているお子さんの親で、高額の治療を続けながらウィッグの申請もされていた方もいました。それはつまり、治療がうまくいっていないということですね。この家族にとっても、ウィッグを渡すことは「笑顔でハッピー」という話では全然ないと思います。
未来:ウィッグがあればすべて問題解決ではないというのはそういうことなんですね。
ウィッグをかぶったらかぶったで、強風の日やプールの日はどうするのかという問題がある。「うちの子どもは脱毛の症状があるんです」ということを学年やクラスが変わる度にずっと伝え続けなければいけない。
ウィッグだから髪が伸びないということが、周りにわかり始めてしまうタイミングが退職するタイミングだという方もいらっしゃいました。この方もウィッグがあればハッピーで終わりではないということです。
学校にはウィッグをつけていかないけれど、家族で買い物やお出かけをするときだけウィッグをつけていくという男の子もいて、理由を聞いたら学校ではみんなが自分の症状を知っているからジロジロ見られないけど、出かける時はジロジロみられるからかぶるんだそうです。なぜジロジロ見るのか。男女関係なく、髪型も服の色も、いろいろあってよくて、それぞれが好きなようにしたらいいじゃないですか。
また、同じ脱毛といっても抗がん剤の副作用による一時的なものと、脱毛症という一生にわたる可能性がある脱毛とでは少し事情が違います。一時的な脱毛でも、抗がん剤の治療前と同じ髪質に戻らないこともあります。一口に脱毛と言っても様々な事情があるということはぜひこの機会に知っていただきたいですね。
無意識の差別の背景にあるジェンダーギャップ
未来:保護者の思いとして、「髪があること」が「髪がないこと」の解決策の前提になっているということですね。でも、どうしたら「そのままでもいいし、そもそも色んな自己表現があってもいいじゃない」となるのかという答えが私たちにもまだないです。
今おっしゃったのが正解なんじゃないでしょうか。最初から正しい答えはないんだと思います。とにかくこういう議論を止めないということしかないと思います。そもそも当事者の方は髪がないことを聞かれたくないと思って隠しているケースが殆どです。だから、これまでは社会にも脱毛のことが知られることはほとんどありませんでした。
ですから、この議論をやめずにずっと続けていくというのが今の段階での正しい答えのような気がします。幸い、昨今ジェンダーギャップやルッキズムなどがどんどんと表面化してきているので、話がしやすくなっていると思いますし。
未来:子どもの脱毛に対する考え方が変わるには、大人がまずは変わらないといけないですよね。
おっしゃる通りだと思いますね。子どもが自主的に何か自分で学んでいけるっていうのは、ある段階までは難しい側面があります。
髪で言えば、まず避けて通れないのがジェンダーギャップの話です。女性の髪は長いのが当たり前という空気が、髪がなくなってしまったときの生きづらさの原因になっています。
髪だけじゃない。料理上手の女性への誉め言葉として「いいお嫁さんになるね」と言うことがありますが、それも同じです。子を産むこと、家事育児を担うこと、お弁当を作ること。あらゆる場面で女性は、自分が受け取るべき利益を男性に供与しなければならないような家父長制度による社会構造にずっと踏みつけられてきています。この中に一つ、見た目の問題があって、女性は髪が長いもの、髪は女の命と思われていることが、多くの女性を悩ませている根本原因なのでは?と強く感じます。
最近は逆に男性のヘアドネーションが増えてきたんですが、男性がロン毛の場合にもまた変な目で見られたりしておかしなことになります。この原因はどこにあるかというと、ジェンダーギャップ、つまり男性優位の社会を女性が支えてきたという社会構造そのものの問題なのではないでしょうか。
ヘアドネーションを美談だけにしてはいけない
未来:でもジェンダーギャップは根深い問題で、残念ながらそう簡単になくしたり変えたりするのは難しそうです。
すぐに変わるわけではないですよね。ですから繰り返しになりますが、議論を止めないということが大事かなと思います。で、なぜなくならないかというと、みんな無自覚だからです。自分の発言が無意識の差別になっているという自覚がないからです。
ヘアドネーションもしたい人はするし、しない人はしない。好きでロングヘアをしている人に「髪長いね。ヘアドネーションするの?」と聞いたりするのもおかしい。同調圧力のようにみんながヘアドネーションしたほうがいいというのも気持ちが悪いし、ヘアドネーションがメディアなどを通じてSDGsの文脈で、ただ美談として語られていることにも危機感があります。
費用の問題もあります。ウィッグを作るのにはお金がかかるのに、美談のネタとして書かれて広がった需要をまかなう費用負担のことをどう思っているんでしょうか。今でもウィッグの順番を待っている人が300人くらいいるのに、美談として宣伝されて申し込みが増えても、ウィッグにするためには少なくとも数千万単位の費用がかかります。

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子どもと向き合う「ていねいな暮らし」とは
未来:子どもとの意思疎通が足りていないとおっしゃっていましたが、子どもとの接し方についてはどう思われますか?
「ていねいな暮らし」という言葉がありますが、僕が思う「ていねいな暮らし」は、オーガニックとかサステナブルな生活のことではありません。どれだけ忙しくても、どれだけ大変でも、どれだけ疲れていても、子どもとの会話を絶やさないこと。子どもに「行ってきます」「行ってらっしゃい」と一声かけたり、「おかえり」「今日はどうだった」「今日は暑かったね」という会話をしたりすること、それが「ていねいな暮らし」だと思います。
そんな会話の延長上で、先ほど話をした子どものように、「私やっぱりこのまま髪の毛がないのは嫌だ。学校行くときもジロジロ見られて、なんとかしたいな。学校の友達はなんにも言わないし、別に良いんだけど、でもやっぱりこの前ママが言っていたウィッグを私も作ってもらおうかな」という会話になったりするのではないでしょうか。「おかえり」「ただいま、それでね」という会話ができて初めてそういう会話ができる。保護者も、「あなたはそのままでもかわいいと思うし、そのままでも私の大事な子どもだよ。でもあなたがウィッグをほしいっていうなら一緒に考えようか。パパとママの大事な子どもに変わりはないから、髪の毛があろうがなかろうが関係ないよ。私たちはあなたのこと恥ずかしいなんて一度も思ったことはないし、誰に対しても恥ずかしくないと思ってるよ」という話をする。こういうことが「ていねいな暮らし」なのではないでしょうか。
子どもが答えを出すまで待つのが保護者の役割
そもそもウィッグをかぶりたくないというお子さんも、当然ながらいらっしゃると思います。
あるケースで、頭のサイズを測るのも拒否して1時間くらい抵抗して、なんとかサイズは測れたものの、作って送っても全然かぶらないという方がいらっしゃいました。
「本当に申し訳ございません」と親から謝りのメールが来て、「いえ大丈夫ですよ、保険として持っていたらどうですか」と伝えました。その当時4歳だった子が2年後、6歳になった時に、その親から「実は娘もこの春から小学校に上がることになりまして、あの当時あんなに嫌がっていたのに『パパ私かぶってみようかなと思うんだよね』と言い出して、ようやく活用することになりました」というメールをいただいた経験もあります。本人の意思決定、本人がどう考えるかという話なんだと思います。それを考える時間がその子には必要だったんですよ。なんでもかんでも保護者が答えを決めないで、本人が答えを出すまで待つという忍耐も保護者の役割ではないでしょうか。でも、子どもに聞かれればアドバイスはする。「ママ、パパ、私このままで学校に行ったり外歩いたりしたら恥ずかしいのかな?」って聞かれたときに、どう答えてあげるかということが大切だと僕は思います。
私たちにできることは議論を続けること
最初は単純に、ゴミになるはずの切った髪の毛をうまく活用したいと始めたヘアドネーションを通じて、世の中の世相のところまで切り込んでいかなければ問題の解決には程遠いんだということを学びました。ウィッグだけ渡しても目先のことだけで何にもならないんだなという無力感みたいなものがあります。
未来:今、私たちができることとはなんでしょうか?
学校やクラブ活動や友人どうしなど、あらゆる場面でこのことについて議論をすることだと思います。それにより相互理解をしていくことしか解決の糸口や、社会を今後変えていくことはできないのではないでしょうか。
未来:そういう意味でも、もっとジャーダックのサイトから問題提起をしてほしいです。
ようやくそのフェーズに入ったと思っています。これからは問題提起をしていくようなサイトにしていけたらと思っています。そして、ジャーダックとしては、ヘアドネーションをきっかけに、子どもと会話する機会が増えたらいいなと思っています。
私たちも日常的に、子どものしつけや教育、職業選択や結婚、生き方などについても、子どものためと言いながら実は、子どもの意志を置き去りにし、自分の思いや価値観を満足させるための助言や行動をしていることが多々あるのではないかと考えさせられました。また、心の奥の子どもの意思を理解することの大切さと難しさ、社会に対する無意識の偏見についても深く考えさせられた取材となりました。
お話を伺ったのは…Japan Hair Donation & Charity(JHD&C・通称ジャーダック)代表 渡辺貴一さんJHD&Cは、寄付された髪だけで作ったメディカル ウィッグを頭髪に悩みを抱える18歳以下の子どもたちに無償提供している日本初の「ヘアドネーション」を専門に行うNPO法人。いろんな髪型が個性として認められるように『髪がない』こともひとつの個性として受け入れられる、そんな多様性を認め合える成熟した社会を目指して活動中。
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