ヘアドネーションという言葉を聞いたことはありますか?ヘアドネーションとは、長く伸ばした髪の毛を、病気などで髪が抜けてしまった人のためにウィッグとして提供する活動のことです。
日本で初めてヘアドネーションをスタートしたJapan Hair Donation & Charity(JHD&C・通称ジャーダック)は、「必ずしもウィッグを必要としない社会」がくると信じて活動を続けています。ウィッグを作るためのヘアドネーションなのに、必ずしもウィッグを必要としない社会を目指すとは?その思いを団体代表の渡辺貴一さんに取材しました。
ヘアドネーションを始めたのは社会貢献のためではなかった
未来:ジャーダックは、ヘアドネーションを日本で初めて取り組まれていますが、どのような思いがあってスタートしたのでしょうか?
ヘアドネーションの事業をスタートしたのは12年前ですが、その頃はそもそもヘアドネーションという言葉自体が日本国内で全く認知されていませんでした。僕が始めたのも、美容師としていつも扱っている髪の毛に恩返ししたい、ただのゴミになってしまう髪の毛を何かに活かしたいと思ったのが理由です。どう活かすかと考えた時に、髪の毛があるならウィッグに使える、ウィッグにすれば誰かがもらってくれるだろうと考えました。今もそうですが、髪を失ったお子さんのために何かしたいというような考えは当時も全くなかったです。誰かの役に立ちたいとか社会貢献になるとか、そういう理由で始めたのではありません。
未来:人のためというよりカットした髪の毛を何かに活かしたいというのが発端だったんですね。
そうです。僕たち美容師は髪の毛を切って捨ててゴミにすることを商売にしてきました。でも、ちょうど僕が独立しようと思ったタイミングでもあり、子どもができて親になっていたりもして、ただ収入を得る商売をするだけではなく、自分のもう一つのキャリアとして、儲けにならない何かに取り組んだらバランスがいいんじゃないかなとも思っていました。
そんな中、ウィッグがあったらいいけれど、手に入れるには買うしか選択肢がなかった人たちがいて、一方で切った長い髪の毛がゴミになってしまうのがもったいない、でも誰にあげていいのかわからないと思っていた人たちがたくさんいらっしゃった。であれば、その人たちに対して、切った髪の毛を送ってくれれば髪が必要な人たちにウィッグを作って渡しますよという橋渡しの役目になろうと思ったわけです。
「髪の毛を集めています」と美容室のサイトに掲載すると、月に1件、2件と少しずつ髪の毛が届くようになりました。ヘアドネーションした人が自分のブログで「髪を寄付したよ。今まで海外にしかなかったけど、日本でもヘアドネーションの団体ができたみたいだよ」と書いてくれたりして、少しずつ広まっていきました。僕らが宣伝したわけじゃなくて、寄付者が自ら広めてくださったんです。それでさらに少しずつ寄付が増えていき、週に約1~2件届く頻度になりました。そうして約3年間で30キロの髪の毛が集まりました。
未来:その後ウィッグをどのように作ったのでしょうか。
集まった髪の毛をウィッグに加工する作業は私たち美容師にはできません。集めてはみたものの、どうやったらウィッグを作れるのか、誰がウィッグ作ってくれるのか、切りっぱなしのままだと色も髪質も違う髪をどう使うのかなどの課題を、ゼロから探っていきました。しかし美容の業界にいたことが幸いして、髪を加工してくれる人たちやウィッグを作ってくれる人たちとつながることができました。
こうして髪を寄付する方が少しずつ増え、ウィッグ用に加工してくれる人も確保できたのですが、一番難しかったのが「ウィッグを受け取ってくれる人」とつながることでした。というのも、ウィッグを必要としていらっしゃる人たちは、そのことを伏せているケースが殆どだからです。
そんな時、2011年に東日本大震災が起き、TwitterやFacebookなどのSNS利用者が爆発的に増えたことが流れを変えました。ジャーダックからウィッグを提供した一人目の方も、申し込みはTwitterからで、2012年のことでした。3年間溜めた髪の毛を使って、当時高校生だったこの方にようやく一体目のウィッグを提供しました。
ウィッグを渡すだけでは何も解決になっていないことに気づく
未来:捨てられるはずだった髪の毛が活用されるということが最初の想いだったとのことですが、一人目のウィッグをお作りになった時はどんなお気持ちだったのですか?
ほっとした気持ちでした。国内では初めてで誰もやっていないことですから。みなさんから寄付された髪が本当にウィッグになった、一体目がまず渡せたという安心感のような気持ちです。受け取った方が喜んで、笑顔が見られて嬉しいみたいなことではなかったです。
一体目を提供してからは、意外と定期的に申し込みが来るようになりました。それまではもらってくれる人を結構探していたんですよ。病院にお話を聞きに行き、治療後のQOL(クオリティーオブライフ)など生活を立て直すための手助けはソーシャルワーカーがされているということがわかったので、ソーシャルワーカーを通して患者さんにウィッグを渡せることを伝えてもらったり、一体目のウィッグをお渡しできたことをジャーダックの活動報告としてブログにあげたりしていたら、ポツポツと申し込みがくるようになりました。
でも、法人を作ってから4年目5年目あたりには、「あぁ、ウィッグだけを渡しても何の解決にもならないな」と思い始めました。
置き去りにされている子どもの意志
未来:ウィッグだけ渡しても何の解決にならないと思ったというのはどういうことでしょうか?
例えば、ウィッグのための頭のサイズの計測に来られたお子さんが、今日何のためにここに連れてこられたのかを告げられていないというケースを何回も経験したことです。
未来:保護者に連れてこられたんですね。ウィッグについて何も言われずに。
ウィッグの申請自体も保護者がしています。その気持ちも僕はわかりますので、それがいいとか悪いとかいう話ではないんです。
今ではもうやっていないのですが、前はメジャーメントといいまして一人一人の頭の型取りにお住まいの地域や入院中の病院まで行っていたんですが、一度14歳くらいの女の子が来たことがあったんです。破けた帽子をかぶって、性別があまりわからないような黒っぽい色のパンツスタイルのファッションでした。母親と祖母と一緒に来てくれたその子は、100%今日何しに来たのかを聞かされてなかったんです。斜に構えて、ものすごく不服そうで機嫌が悪い。
来てすぐに祖母と母親が、「この子にはいつもお帽子もかわいいフリルのついたものや、新品を買ってあげてるのに、この帽子(使い古して破けたもの)ばかりかぶってて、お洋服もピンクの可愛らしいものをいつも買ってあげてるのに全然着なくて。」と言い出したんです。僕はその3人が来てからすぐわかりました。この祖母と母親は、その子がなんで買ってもらった服を着ないのか、破けたところがクリップで止められているような帽子をかぶり続けるのかわかっていないんですよ。
だから、僕はこう言いました。「わかるよ。この帽子が一番つけ心地がいいんでしょ」って。その子はコクっと頷いて、僕が祖母と母親の前で「この二人うるさいよね」って言ったらちょっとニヤッとし始めました。「今日はこういう活動で、僕らこういうことしている人たちなので、頭をちょっと測らせてくれる?ウィッグいる?あったら使う?」って話をしていたら少しその子の雰囲気がやわらいできて最終的には計測できました。
そこで僕は大きな教訓を得たんです。それは、「ウィッグの計測に来ている子どもたち本人の意思や本人の権利、本人の表現の自由が尊重されていない」のではないか、と。
子どもにウィッグを勧めることは、脱毛は恥ずかしいと子どもに言っているのと同じ
未来:子どもの意志や表現の自由が尊重されていないとはどういうことでしょうか?
目白大学(元国立がん研究センターのアピアランス支援センター長)の野澤桂子先生が、「お父さんお母さんが、子どもにウィッグを無理やりかぶせたい気持ちはわかります。なぜなら子どもを守らないといけないから。でも、子どもがどう感じるかというところにまで考えが及んでいるでしょうか?お子さんへのケアより先に、まずは保護者への教育が必要だと感じています」という内容のことをおっしゃっていました。子供の意識は個人差が大きいです。自分がウィッグを望んでいない場合に、保護者に絶対ウィッグをつけた方がいいと言われた子どもは、「そんなに隠さないといけないこと?お父さんとお母さんは、自分と一緒に出かけるとこのままでは外を歩けないほど、この自分の脱毛の症状は恥ずかしい状態なんだ」ということを暗に言われているようなものだ、とおっしゃっていて、強く印象に残っています。
まず子ども自身に、ウィッグをつけておしゃれを楽しみたい、ウィッグをつけて学校や保育園に行きたいというような思いがあるのかを確認しているか。その確認が抜け落ちたまま、とにかく保護者が子どもをどう守っていくのか、これからどうしたらいいのかと悩んでいるんですね。そういうケースを本当にたくさん見てきました。
お母さんが泣くからウィッグをかぶるという子ども
未来:保護者の思いが先に来てしまっているということなんですね。
ほかにもこんな事例があります。脱毛している自分の子どもの行く末を案じて、きっと毎晩毎晩、お母さんが泣いているんだと思うのですが、その子どもは言うわけです。「お母さんが泣かないんだったら、僕かぶるよ。お母さんのためにかぶるよ」と。自分がウィッグをつけたいからではなく、つけるとお母さんが泣かないからというのがその理由です。
それを見て僕は「ただウィッグを渡しても意味がないな」と思いました。何のためにウィッグを渡すのか。そこが抜け落ちている。
ただ、その抜け落ちている理由もわかります。自分の子どもが、全頭脱毛になったことのある人はそうはいない。だからどこに相談していいかがまずわからないし、相談窓口もないんです。
でも、実際にどうやって子どもの脱毛という現実と向き合えばいいのか、どんな言葉をかけてあげればいいのか、正解があるわけでもないので、なかなか難しいですよね。
例えば前述の野澤先生を知っていて、先生に聞いたら適切な回答があると思います。もしくは僕みたいな人に聞いてくれれば、最初にこういった話を子どもと話してください、そこからスタートしますということを言えるんですよ。でも相談先がわからなければ、やはりよかれと思ってウィッグの無償提供に申し込みますよね。子どもの気持ちは後回しにして。なので、作ったはいいけど使われなかったケースはたくさんあると思いますし、2年後にようやく役立った、というような報告を受けたこともあります。
僕は、そもそも、人の見た目、例えば着ている服や体型、髪型、傷やアザなどに他人がとやかく口を挟むのはおかしいと思っています。例えば何らかのお困りごとに対しても過敏に反応したり、気を遣い過ぎるのではなく、助けが欲しいと思っている人がいたら「何かお手伝いしましょうか」という接し方でいいんじゃないかと思います。言われた方も、「今のところないけど、もしお願いすることができたらまた言うね」って言うくらい、軽くていいと思うんです。
とは言え、子どもが脱毛になってしまったお母さんなどが「うちの息子の髪の毛が全部抜けちゃいまして」というような相談を気軽にできるかと言うと、現実にはかなりハードルが高いと思います。
僕が以前出会った方で、ウィッグをはずしたらものすごくきれいでかっこよくてかわいかった方がいて、「あなた、髪の毛ない方がカッコいいね。むしろそのままの方が似合ってない?」って言ったら、その子が「やっぱ、そう思う?」と返してきたんです。でもそのやり取りをしている最中にその方のお母さんが怒って僕に言ったんですよ。「渡辺さんは髪の毛があるからそんなこと言うんですよ。娘の気持ちはどうなるんですか?」と。その時わかりました。この子もお母さんが理由で自分では似合ってないとわかっているウィッグをかぶっているんだなと。
(後半の「ヘアドネーションに潜む私たちの無意識の差別」に続きます)
お話を伺ったのは…Japan Hair Donation & Charity(JHD&C・通称ジャーダック)代表 渡辺貴一さんJHD&Cは、寄付された髪だけで作ったメディカル ウィッグを頭髪に悩みを抱える18歳以下の子どもたちに無償提供している日本初の「ヘアドネーション」を専門に行うNPO法人。いろんな髪型が個性として認められるように『髪がない』こともひとつの個性として受け入れられる、そんな多様性を認め合える成熟した社会を目指して活動中。
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