農家や畜産家、伝統工芸品、企業の商品開発などの「作り手」はたゆまぬ努力を続け、生産品に愛情を注ぎ、好奇心や探求心、情熱を常に持って暮らしている人たちです。身近にあるものを「つくる人」は、どのような子ども時代を過ごし、どんな人生を送ってきたのか? それを知ることで、人として生きていくのに必要なものに迫る「つくる人」インタビュー・第2回は「∞(むげん)プチプチ」などの大ヒットおもちゃの開発者、おもちゃクリエイターの高橋晋平さんです。自己肯定感が低かった自分が大学生活で変わったこと、大ヒットのあとに気づいた大切にしたいもの、2人の娘さんの子育てに関してのエピソードも伺っています。
秋田県出身。バンダイで企画開発・マーケティングを担当し、「ヒューマンプレイヤー」や「∞プチプチ」などのヒット商品を生み出した。現在は株式会社ウサギ代表取締役として、玩具企画開発から、PR販売までの支援が主な業務。「アンガーマネジメントゲーム」や「グーチョキパーダラピン」「MouMa」などこれまで80点以上のおもちゃ・ゲームを開発している。
たとえウケなくても…人前でしゃべる楽しさに目覚めた!
未来:高橋さんが、今の自分を支える「生きるチカラ」となるものを見つけたのはいつごろですか?
僕は秋田県に生まれて高校時代までは人前でしゃべるのが苦手で友だちも少なく、不良にからまれたりもする本当に暗い少年でした。親にはいつも「成績がトップじゃないと許さない!」と言われるくらい厳しくて、親に対しては強い反骨心がありました。そのおかげで勉強はできたんですけど…。
未来:勉強はできても、いわゆる自己肯定感が高い子ども時代ではなかったんですね。
そうです。でも、仙台の大学に進むことになって「今までの僕を知る人物は誰もいない!」となったときに「大学で生まれ変わろう」と。大学でモテたい一心で、落語研究部に入りました(笑)。
未来:落語研究部って…モテるんですか?
当時はフジテレビの「ボキャブラ天国」に出てくる芸人さんにすごく憧れていたので、僕の中で「お笑いができる」というのはカッコイイしモテると思っていたんですね。でも、そもそも人前でしゃべれなかったので、落語を聞いて暗記して舞台でやろうとしても緊張で震えちゃうんです。内容はというと、それはもう…痛々しい感じで2年間1回もウケませんでした(笑)。
未来:むしろウケない状況をよく2年間も続けられましたね……。
それが「自分が人前でしゃべっている」というだけでうれしくて夢中になっていたんです(笑)。落研の先輩の無茶ぶりで「キャンパスのど真ん中でゲリラ的にネタをする」みたいなこともあって、普通なら強要されてイヤだなあと思われそうなのですが僕は喜んでやっていました。
未来:なるほど、人前で話すこと自体が自分の中の殻を破った体験だったですね。
弱い自分をさらけ出すことが最大の武器に
未来:「2年間スベり続けた」ということは、3年目に転機があったのでしょうか?
3年目のときに、自分の身の上に起きた不運な出来事やドジ話を、いつものボソボソとした話し方でやってみたら、それがウケたんです。僕が憧れていた笑いとは真逆なんですけど、クスクス笑いが取れるようになって、また「自分は才能があった!」と勘違いして笑いにのめり込んでしまったんです(笑)。
未来:自分では嫌いだった「弱いところ」をさらけ出したら、そのときに一番欲しい「笑い」が手に入ったのはおもしろいですね。ありのままの自分を周囲が受け入れてくれた瞬間でもあります。
ええ。今では「体が弱い」とか「痩せている」とか「月曜日の朝は(憂鬱で)いつもお腹を壊している」みたいなことを、堂々と言っています。それで「高橋さんはずるい」とか「人たらし」と言われるんですけど(笑)。第一印象で自分の弱いところをさらけだして笑ってもらったら、強みを前に出してコミュニケーションをとっていくよりも相手にもっと好きになっていってもらえると思うんですよ。
未来:落研で2年間スベったあとにつかんだ成功体験が、今はとても強い武器になっているんですね。
会議室でウケるだけのおもちゃは商品にならない
未来:大学卒業後はバンダイに入社されますが、キャリアは順調だったのでしょうか?
それがその…落研時代の最初の2年間、すごい「スベり期」を体験したんですが、会社に入ってから「第二次スベり期」が始まりまして……。
未来:スベり期がやってくるのが早すぎます…(笑)。
「僕は人を笑わせるものを作るんだ」と言って企画部署に入れていただいて、企画を出し始めたんですが、目の前の同じ会議室に入る同僚の先輩とかを笑わせる企画書ばかり書いていたんです。世の中の人が買ってくれるものを企画しなくてはいけないのに、会議室でウケることだけを考えているという…。
未来:その場でウケても商品開発にはつながりませんよね。
ホントに(笑)。そんななか、ここでも転機になったのが3年目なんです。バンダイがアメリカから「20Q(トゥエンティ―キュー)」というおもちゃを輸入することになりました。どんなおもちゃかというと「まず頭に何かを思い浮かべて、コンピューターの質問に答えていくだけで、20個の質問が終わると正解を当ててくる」おもちゃです。
未来:なるほど、日本でもスマホで流行った「アキネーター」というアプリに似てますね。
そうですね。僕の先輩が担当した商品で、店頭販売する手伝いをしたら、自分は何もしていないのにお客さんが遊んでみて、正解を当てられて驚いて、めっちゃ笑って買っていくんです。1日で100個くらい売れました。それを見たときにまず、「とても嫉妬した」のと「自分はなんて愚かだったのか」というのに気がついたんです。
未来:嫉妬したのは「20Q」がお客さんの「笑いが取れるおもちゃ」だったからでしょうか? 自分が愚かだと思った理由は?
そうですね。自分が愚かだと思ったのは「商品はお客さんがお金を出して買う」という視点が完全に抜けていてからです。そこから「お金を出してもらうというのは、なんなのか?」って考え始めて、「ヒューマンプレイヤー」などの商品化されるアイデアが出るようになり、ようやくスタート地点に立てました。
∞(むげん)プチプチは「逆ギレ」から生まれた
未来:高橋さんの大ヒット作といえば2007年に発売された∞(むげん)プチプチですが、この商品が生み出されたきっかけはなんだったのでしょうか?
プチプチ_R.jpg?resize=1200%2C900&ssl=1)
荷物を送るときに傷がつかないようにする気泡緩衝材「プチプチ」をつぶした経験は誰にでもあるもの。あの気持ちよさを無限に味わえるのが「∞プチプチ」です。国内外で335万個売れるヒットおもちゃになりました。
そのきっかけは2つあって、1つ目は小さいころから「何かをずーっと触り続けてしまう」クセがあることです。小2のとき、鉛筆の持ち方が悪くて親指にタコができて、それを30年以上もずーっと触っています(笑)。また、マグネットで張り付くオセロをくっつけたり離したりするのが好きで、オセロは好きじゃないのにずっと触ってました。中学校時代にギターを始めたときは、普通は好きな曲を弾く練習をするところを、スリーコードを覚えたらずっとそれを鳴らし続けているだけで満足でした。
未来:「触ること」がすごく好きなんですね。
何かに触っていないと落ち着かないくらいで(笑)。もうひとつのきっかけは、当時はボードゲームを担当していて、その企画書をかける会議の前日になってもアイデアが出ず、深夜まで残業していました。ニンテンドーDSが好調だった時期なので「ボードゲームなんて作っても売れないよ!」とおもちゃ会社の社員にあるまじき発言しながら、もうゲームじゃなくてもいいから何か出そうと思い、夜中に会社をうろうろしていました。
未来:それは…相当に追い詰められていていましたね。
そんなときに、隅にプチプチの梱包材があるのが目に留まって、そのプチプチがゲームのボタンに見えて(笑)。これをシリコンみたいな素材で作って中でパチパチする機構を入れたらプチプチが作れるんじゃないかと思ったんですよ。
未来:まさに「∞プチプチ」のアイデアですね! 当日の会議ではどうでしたか?
上司に「で、ボードゲームの企画は? これゲームなの?」と言われましたね。とっさに「これは1人3回まで押せて100回押したときに負けというゲームなんです」と後付けでゲームにしましたけど、周囲の目は冷ややかでした…。
未来:普通に考えたら、そんな流れになったらボツだと思われそうなのですが、どうやって製品化に結びつけたのでしょうか?
企画書を作っていくうちに、どんどん自分でもツボに入っちゃったんです。とくに「∞プチプチ」という名前を思いついたときに「これはめちゃくちゃおもしろい! 絶対にボツにするもんか!」といろいろ作戦を立てました。当時は携帯のストラップがすごく流行っていて、ボードゲーム売り場は携帯ストラップ売り場に変わっていたんです。そこで「∞プチプチ」はストラップ商品だと言えるようにして、売り場に並べてもらえるようにしました。また、最終会議のときは資料にプチプチシートをつけて回しました。
未来:自分の弱さを武器にしたように、逆境を味方にしたんですね。実物をつけたのもいいアイデア!
見ているとみんなプチプチのシートをつぶすんですよ(笑)。そこで「人間は突起物を見ると本能で押したくなる」という心理学の話をして。この形でストラップ売り場に置いてあったら、どういう感触かわかるのでつぶしたくなる。「それがこの値段なら買います」とプレゼンをしたら商品化が決定しました。
未来:自分の好きな「触る体験」と高橋さんの直感、お客さんの心の動きまで読んで入念な準備をしたのが結果につながったんですね。
人生を賭けてやりたい1番のことなのか
未来:大きなおもちゃ会社で結果を出したのに、独立したのはなぜですか?
じつは∞プチプチを発売した2008年に体調を崩して倒れたんです。1年半休業しました。もともと体が強くないということは知っていましたが「ここまで仕事をがんばると、体のほうからストップがかかる」のがわかりましたね。復帰後も仕事をがんばっていくうちに、今度は腕が上がらなくなってしまって…。自分の働き方が不器用だったのですが、ここでもう1度倒れてしまうと「前に倒れたことから何も学んでいない」のではないかと。それで辞めようと思ったんです。
未来:∞プチプチのヒットとその後の商品開発で多忙になったのも大きそうです。
じつはもう一つ理由があります。バンダイはアニメキャラクターの商品が多く、大企業なので当然大ヒット商品を狙っていきます。僕は「∞プチプチ」のようなシュールでニッチな商品をたくさん作りたかったんですよね。
未来:高橋さんの作りたいものと、バンダイが作るべきものの方向性が違うことに気がついたわけですか。
それでバンダイで働き続けることが「人生を賭けて一番やりたいことなのか」と考えたら、ここで自分がやりたいことを一回やってみて、もしダメだったとしても何度だって転職できるんじゃないかと考えて、バンダイを辞めることにしました。
勝つために全力を出したかどうかで自信がつく
未来:バンダイを退職されたあとに株式会社ウサギを立ち上げましたが、そこからは順調に事業を進められたのでしょうか?
いやー、やっぱり2年くらいスベリましたね(笑)。でも3年目に「とにかくおもしろいゲームを時間をかけて作ろう」として作ったカードゲーム「民芸スタジアム」が売れて軌道に乗りました。「これだ」と決めたもので勝つために全力を出したのがよかったと思います。思えば、僕にとっては人生の転換期に2年間迷走があるのは、結構ちょうどいいサイクルなんです。
未来:確かに、2年間というのは結果が出なくても我慢できるギリギリのラインでしょうし、芽が出なくても取り返しのつかないほど時間を使ったというほどでもないですよね。
そう思えるのは、会社員時代に文字通り自分が倒れるくらいの努力をして、ヒット商品を出すことができたのが大きな自信になったからですね。起業して挑戦できたのは、ある程度うまくいかなくても耐えられるように金銭的に備えを用意していた部分もありますが、自分の限界を知っているからこそチャレンジできる内容も選べるようになったからだと思います。