超セレブ生活から一転、不良少年だったユージさんが立ち直れた理由とは?

文化放送のラジオ「なな→きゅう」の火曜日レギュラーとして出演するなど、モデル・俳優・タレントとして活躍するユージさん。超セレブな家庭に生まれた彼は、一転して貧乏生活になり、いじめや不良、母親に包丁で襲われるなどの壮絶な経験をしました。全2回のインタビューの前編では、人生を変える数々の「出会い」や「体験」を通して、不良少年だったユージさんが立ち直るまでをうかがいます。

毎週金曜日の「なな→きゅう」では、8時05分ごろから、「いこーよ」に掲載されている情報をはじめ「子育て世代」や「これから親になる方」へ向けた情報・パパママニュースをお届けしています。番組公式HPはこちらから! 公式Twitterもあります。

超セレブから日本でド貧乏暮らしになって気づいた「シングルマザーの苦労」

未来:現在は俳優やタレントとして活躍するユージさんですが、子ども時代は大変なご苦労をされたとか?

僕の父はハリウッド俳優で、母は日本人でモデルの家庭に生まれました。曾祖父はドミニカ共和国の大統領で、プールつきの豪邸や高級ホテルの最上階を貸し切って裕福な暮らしをしていましたが、5歳のときに離婚してお母さんと日本にきたときは一転、貧乏暮らしになりました。

離婚の際、父方のほうは「こちらのほうがお金もあるし、一人息子でもあるのでユージを引き取って育てたい」と母に言ったそうなんです。でも母はプライドが高い人なので「慰謝料も養育費もいらないから、私はこの子を引き取ります」と、それを断って帰国しました。そこから誰にも頼らず一人で仕事をして僕を育ててくれたんです。

でも、30年前は今よりもっとシングルマザーに対して世間の風当たりが強い時代で…。就職の面接に行っても「シングルマザー」というだけで断られるんですよ。だから家も借りるのも難しかったんです。とくに記憶に残っているのは「お母さんに手を引っ張られていろんな家を見ながら散歩して、お金持ちの離れで空いている家がないかを探した」ことですね。

未来:不動産屋さんではなく、実際の家を1軒1軒回るのは想像するだけでも過酷な体験ですね。

そうやって回っているとある豪邸のお宅に、もう絶対に使ってないことがわかる、小さな一戸建てを見つけたんです。平屋の一階建ての1LDKぐらいの。本当に小さくて壁にツタとかも生えちゃって扉も誰も開けていない感じ。

その家に住んでいた方が、母が卒業した大学の教授だったという縁で、特別に住まわせてもらえることになり、そこに18歳まで暮らすことになったんです。

ようやく借りた家ですが、誰も住んでいないから床も抜けていて、トイレも汲み取り式、風呂も薪を入れるタイプで、それを僕と母の2人で直しながら住んだこともすごく思い出深くて…。母と一緒に暮らし始めた当時は、前に住んでいた家のときよりも、そばにお母さんがいてくれたのがうれしくて「辛い」という思いはありませんでした。

ハゲているところをペンキで塗って、ツタもはがして庭の芝も刈って、壁紙の張り替えもしてとホントDIYですね。あそこでの生活は、ある意味で僕の原点だったかな

未来:ユージさんは、のちに建築系の仕事をしたほか、テレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」でDIYの企画をしていましたよね。そのほかに当時やっていたもので今に生きているものはありますか?

ゲームなどはとても買ってもらえなかったので、当時は絵をたくさん描いていました。そのときの経験でイラストを描くのが趣味になり、それが高じて「ビフォーアフター」でも描かせてもらいましたし、最近はCDのジャケットを描かせてもらったり、サーフィン大会のポスターを描かせてもらったりしています。

未来:大変な時期でしたが、このときの経験がのちに「生きてくる」というのは、人生って本当に不思議ですね。

母子は忙しさからしだいにすれ違うように

未来:住む家が見つかってからは、どんな生活だったのでしょうか?

母がずっと仕事でいなくて、僕は家で1人という毎日でしたね。今となって当時を振り返って思うのは、僕は「寂しかった」んだなと

お母さんは僕を食べさせてくためには少しでも働く時間を増やした方がよくて、ましてや就職先が見つからず自分で会社を起業したので、自分で切り上げない限りは仕事が終わらないんです。

そういう事情が子どもの僕にはわからなくて「僕は家に一人でつまんないのに、なんでお母さん帰ってきてくれないんだろう」と思っていました。この生活が続くと「僕のこと好きじゃないんじゃないのかな…」と。

未来:家に自分一人だけという事実が、ユージさんをどんどん孤独にしてしまったんですね。学校での生活はどうでしたか?

今では「いじられていた」くらいなんですけど、当時は「いじめられていた」と思っていました。というのも、小学3年生のときにインターナショナルスクールから日本の学校に転校したとき、校内でハーフは僕だけだったんです。日本語もろくにできない状態で…。

未来:同級生側としても「日本語がわからないハーフ相手に、どう話しかけていいかわからない」という気持ちはあったでしょうね。

しかも僕の本名が「トーマス・ユージ・ゴードン」で「きかんしゃトーマス」のキャラクターが2つも入っていて、さらに電車通学だったのでそこも「いじられたり」して。

そういうことがあっても日本語で「やめて」とか「そんなこと言わないでよ」が言えなくて、つい突き飛ばしたり手を出しちゃったりしたんです。

それで先生から「先に手を出したのはお前だ」と言われ、お母さんが呼ばれて。お母さんは僕のその状況を理解してくれているので「むしろかわいそう」って言って抱きしめてくれたんです。それが唯一お母さんに抱きしめてもらえる時間でした。

未来:どちらの気持ちもわかりますが、せつないですね…。

学校で問題を起こして呼ばれたときだけ、お母さんと近くなれる時間になってきて、なんか学校で問題を起こすことに抵抗がなくなってきて、別に「お母さん呼ばれても怖くない」って。そうやって自分を守る方法が、強がって突っ張る方向に変わってきちゃって

中学校に入るとき、小学校のいじめられてた自分を変えたくて、新しい友達もどんどん増える時期だし、ヤンキーとして「中学デビュー」したんです。元から不良だったみたいなフリをすればみんなになめられない。最初が肝心と思ったんですね。

でも、そんな中学生のときに「モデルの仕事を始めた」というのも人生の転機のひとつですね。きっかけは母親がアメリカでモデルをやっていた経験を生かして、日本でもモデル活動をしていて、モデル事務所の方に「子役が必要なんだけど、あなたよかったら息子さんを連れていかない?」と言われて見に行ったことです。そこでモデル事務所に登録しました。

もちろん今の仕事につながってくるんですけど、当時はオーディションとかの案内が来ても、あんまり乗り気じゃなかったんですよね。

でも、たまたま行って受かった映画のオーディションが、オダギリジョーさんと浅野忠信さんが出る黒沢清監督の大作映画「アカルイミライ」で! 僕はその中でキーマンになる少年役に選ばれて、映画の撮影に初めて行ったんですよ。

大きな映画のカメラやクレーンなどの機材があって、いろんな人がいるなかで当時中学2年生だった僕をオダギリジョーさんや浅野忠信さん、松山ケンイチくんが「中学生なんだから彼女いないの?」と言ってきたり、みんなで可愛がってくれるんです(笑)。

そういうテレビや映画で知る「大人」の人たちに遊んでもらえた経験が、すごく刺激になりました。でも同時にグレてたんですけどね…(笑)。

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